周江法发言稿(中日文)
 

各位日本朋友、各位旅日华侨、各位朋友,大家下午好!

      我叫周江法,是中国浙江省温州市瓯海区泽雅镇桂川村人,我的爷爷周瑞楷和同村十八位前辈1923年9月在东京遇害。

      今天,我们作为遇害者后代的代表怀着无比悲痛的心情,第一次组成“1923年关东大地震被屠杀中国遇难者遗属访日祭祖代表团”来到先辈们受难惨死的地方,悼念九十一年前被日本军国主义残杀的英灵,向遇难先辈们表示沉痛的哀悼。

      1921年至1923年,我村共有二十个合法旅日华工,都居住在日本东京江东区大岛町八丁目、七丁目。1923年9月1日中午,关东发生大地震,灾后的9月3日,日本组织以军人和青年团为主体所谓的“自卫团”,四处奔走包围追杀华工。当日,我村20位在日华工,18位在七丁目被杀害,其中我的爷爷周瑞楷和其胞弟周瑞兴、周瑞方、周瑞勳一家四兄弟被杀害。这是全中国、全世界有史以来罕见的一家四人一同被杀害的惨烈悲剧。我祖父被杀害时,我的父亲周锡昌才仅仅3岁,我的祖母获知气急成疾,于1924年病逝。我那年幼的父亲,3岁时父亲被日本人毒害而死无父,4岁时母亲病逝又无母。父亲幼年孤苦伶仃,依靠着我的曾祖母艰难抚养长大,这才有了我们这些子子孙孙几代人。

      我村被日杀害的我爷爷周瑞楷等18人,其中有后裔的只有3人,包括我爷爷周瑞楷、周可其等。因这三人在旅日之前就已婚并各生有儿子,其余15人旅日前未生育子女或是已生子女却因老人在日被杀害后都家破人亡、妻离子散!

      1923年秋天,日本传来消息,我村被日本杀害18人,全村当时只有30多户人家,100多人,全村上下悲愤不堪,哭声延续三个多月,悲情延续几十年之久。由于我家被日杀害四口之多,我祖母悲愤致疾无钱医治于1924年死去,终年才25岁。因为爷爷们尸骨无存,祖母的墓就在村前的大坪山上,至今只是一座孤坟。

      死去的人不可能复生,活着的人必须要为死者呐喊,我们一定要代替死者表达他们的痛苦、哀怨和愤怒——为了不再让历史的悲剧重新上演!希望这个世界永远远离野蛮,远离战争,呼唤文明,呼唤和平。

      我们作为受害者的子孙,必须追究日本政府的历史罪行,追索回历史之公道和正义。揭露1923年关东大地震时屠杀中国人的历史真相,以此巩固中日两国未来的友好基础!日本政府必须负起作为国家的责任,实行91年前内阁决定的赔偿以向中国遇难者谢罪!

      “前事不忘,后事之师”,我们一定牢记历史,以史为鉴,为中日两国世世代代友好,为世界永久和平而不懈努力。

      与世长辞的先辈们,安息吧!

      在此,我谨代表“1923年关东大地震被屠杀中国遇难者遗属访日祭祖代表团”向各位表示衷心的感谢,是你们给了我们这次机会,能够让我们代表受害者的后代们圆了我们几十年的一个梦,第一次组团来到我们前辈遇难的地方祭拜他们的在天之灵!
    
      谢谢大家!


周江法挨拶文

日本の友人のみなさん、在日華僑のみなさん、友人のみなさん、今日は!

      私は周江法と言います。中国浙江省温州市瓯海区沢雅鎮桂川村から来ました。私の祖父周瑞楷と同じ村の18人が1923年9月、東京において殺害されました。

   今日、私は被害者遺族の代表として、この上ない悲痛な心情を抱いて、「1923年関東大震災で虐殺された中国受難者訪日慰霊訪日代表団」を組織し、祖父たちが惨死した受難の地を訪れ、91年前、日本軍国主義によって惨殺された霊を悼み、受難の先人たちに対し沈痛な哀悼を捧げます。

  1921年から1923年まで、わが村の20人が合法的な中国人労働者として、日本の東京江東区大島町八丁目、七丁目に居住していました。1923年9月1日の昼頃、関東地区で大地震が発生しました。9月3日,日本は軍人や青年団を主体とする、いわゆる“自警団”を組織し、至る所で中国人労働者を包囲、虐殺しました。当日、わが村の20人の労働者の内、18人が7丁目で殺害されました。その中には私の祖父周瑞楷とその実弟である周瑞興、周瑞方、周瑞勳一家四兄弟が殺害されています。これは全中国、全世界においても希にみる一家4人の惨殺、全滅という残酷な悲劇です。私の祖父が殺害されたとき、私の父周錫昌はまだ僅か3才でした。私の祖母はこのことを知るや、病気になり、1924年に病死しました。まだ幼い父は、父親が殺され、4才で母親が病死し、孤児となってしまったのです。父は幼くして苦労を重ね、曾祖母に頼ってどうにか生き延び、私たち子々孫々を残すことができたのです。

   私たちの村では、日本で殺害された18人の内、跡継ぎを残せたのは、私たちを含めて僅か3人だけです。私の祖父周瑞楷、周可其等です。この3人は日本に行く前に既に結婚して子どもがいました。他の15人はまだ子どもがいなかったので、当人が日本で殺害された後、家族は離散し、家庭が崩壊してしまったのです!

  1923年の秋、日本から村の18人が殺害されたという消息が伝わりました。当時わが村は全体でも30世帯余り、100人余りしかいない小さな村です。村中に悲憤があふれ、泣き声は3ヶ月以上も続き、悲憤はその後数十年にわたって続きました。わが家では4人も殺されたので、祖母は悲憤の余り病気になり、まともな治療さえ受けられないままこの世を去りました。享年25才でした。祖父たちの遺骨さえなかったので、祖母の遺体は今も大坪山に孤独に埋葬さえたままです。

    死んだ人は、再び生き返ることはありません。生きている人は死者に代わって声を上げる必要があります。私たちは死んでいった人々に代わって、彼らの苦痛と恨み、憤怒を伝えねばなりません。それはこうした歴史の悲劇を二度とくり返さない為です!この世界が永遠に野蛮から遠のき、この世界から戦争を遠ざけ、文明と平和を謳歌するためです。 私は受難者の末裔として、日本政府の歴史的罪行を追求しなければならず、歴史の公道と正義を追求しなければなりません。

   1923年関東大震災時における中国人虐殺という歴史の真相を明らかにすることは、中日両国の未来にわたる友好の基礎を築くことにほかなりません。日本政府は国家としての責任を果たす必要があり、91年前、閣議決定した賠償を実行することを以て中国受難者に対し謝罪すべきです!

  “前事不忘,后事之师”,私たちは歴史を記憶すべきであり、これを鑑として、中日両国の子々孫々にわたる友好と、世界の永久平和の為に弛まない努力をするべきでしょう。

   この世を去って久しい先人たちよ、安らかなれ!

   ここに、私は「1923年関東大震災で虐殺された中国受難者訪日慰霊訪日代表団」を代表し、みなさまに対し、心からの感謝を申し上げます。あなた方が私たちにこのような機会を作ってくださったのです。私たち受難者の子孫は、はじめて団を組んで先人たちの遇難の地を訪れ、その受難の霊を祀るという、数十年間抱いてきた夢を叶えることができたのです。

  ありがとうございました。
 

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